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突然だが、 思想って何なんだろうと考えた。 思想と聞くと宗教を想像する人も多いと思うが もう少し砕けて、より身近なものとして考えてみた。


日々繰り返される日常で 何かを体験したり、また何かにぶち当たり、 そうしながら、感情や考えが生まれる。

それは積もっていき、どんどん山のように成長する。

その成長した山は奥深しく、一日二日でできるものではない。

その山を雑木林にせず、道を作り整備する。 それは自分の考えを整理しながら磨き上げることになる。

そして、自分だけの決まりのようなものまで形付いたときに 自分思想が姿を表す。

自分思想ができれば、そうそう悩むことも妬むこともなくなる。 学校も会社、世間も家族も関係がなくなる自分自身のものだから。


共感する思想

本来は自分自身が持てば良い思想で 他者とは関係のないはずだが

積み上がった自分思想が もし、誰かと共感できたらどうだろう? グッと距離が縮まり、心が通じ合ったような気持ちになるだろう。


逆に自分思想を 受け入れらず、蔑まれたとしたなら 敵意すら持ってしまうこともあるだろう。

だから思想というのは気持ちを近づけもし、 離れさせもしてしまう、危険で魅力的なものなのだ。


今もなお、世の中は思想が渦巻き、 喧嘩をし、殺し合いをし、戦争までする。

僕らはどのようにその思想と付き合うべきなのだろうか?


利益と損益

今の社会の仕組みは 仕事を就く、会社に属す、それらは対価としては お金だったり、成長だったり、生活だったり、自分にとっての利益との引き換えだ。

利益に見合わなければ、他に移ることを考える。

常に自分にとって最適な利益を生み出す職場を選ぶことは当然なことだろう。

極端に言えば、仕事以外の場面でも 付き合う人、話す人さえも気にすることになるだろう。


ただ、毎日毎日ひたすら利益を考えることは楽しいだろうか? (楽しいと思う人もいるかもしれないが、)

そもそも利益とは何か、利益の根っ子を掘り進めてみると、 利益の反対は損益。つまり得した人がいれば、損した人がいる。

もっと言えば、人の利益を奪えば、利益になり、取られた人は損することになる。

結局の所、グルグルと回り資本主義の掌で踊らされているように感じる。 そんな損得勘定の渦からどうしたら、脱出できるだろう。

それは共感する思想だ。

深い所で心が通じていれば、 目先の損得にも振り回されることはなく 違う次元で対話ができるはずだ。

思想で動けば、損得勘定、資本主義から 解き放れて、自分の心に従うことができる。 雑念を除き、心に従うことが人間の喜びなのではないだろうか。


今のこの時代に

今のこの時代は損得に疲れ、コロナに疲れて 何のために生きるのか。 本質的な部分に目を向けられている。

目の前の損得よりもやりがいを見つけたい。 生きがいを見出したい。 自分の思想と共鳴し、響き合い、 毎日の命を費やしたいと感じている人が多いだろう。


トップに求めること

お得意のセールスもマーケティングの ブランディングも少し置いといて、 自分の積み上げた思想の山を伝えていただきたい。 人の考えではなく、何かの引用でもなく、 あなたの核にある正直な思想を。

僕らはその思想と共鳴すれば、 着いていくだろうし 力にもなる。



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